コラム

佐々木 宏子

  • 乳幼児発達研究
  • 鳴門教育大学 名誉教授

プロフィール

40年以上にわたり、絵本と子どもの発達について研究。鳴門教育大学では、地域に開放された児童図書室長や、附属幼稚園長として、実践の場にも関わった。 著書に、『絵本は赤ちゃんから-母子の読み合いがひらく世界-』(新曜社)など。

第1回
『ようこそ 赤ちゃん』
第2回
『赤ちゃんの想像力』
第3回
『赤ちゃんの幸せは成熟社会のシンボル』
第4回
『赤ちゃんとの幸せの時間』
※ニュースレターNo.33~36(2011年6月~2012年3月)より

第1回 『ようこそ 赤ちゃん』

 さて、「フムフム赤ちゃん」です。赤ちゃんは、お母さんの胎内にいる間も聴覚は敏感で、 外の話し声や音楽なども聴きわけているようです。お母さんの方でも9か月間は赤ちゃんと心を結び合う貴重な時間です。 忙しい仕事や家事の合間に、ふと胎内の赤ちゃんに語りかけます。あなたは両親を気に入ってくれるかしら? どんな顔をしていてどんな食べ物が好きかしら? どんなおもちゃや子守歌を準備し、絵本はどんな風に読めば気に入ってくれるかしら? まるで、外国から新しくお客様を迎えるような心境かも知れません。 言葉は通じない、生活習慣は分からない。でも、心配しないでください。赤ちゃんは、生まれたその日からしっかりと個性をもって自分を表現します。

 大人の「時計の時間」ではなく、今までの常識やこびり付いた習慣の枠組みを捨て、 赤ちゃんの生命のリズムに合わせてゆったりと好奇心いっぱいに向き合うことから「赤ちゃん発見」は始まります。

 赤ちゃんを新しく家族や地域に迎え入れることは、すでに作り上げられた環境や文化・習慣の中に赤ちゃんを引き込むことではありません。 そうではなく、新しくこの世に生まれた個性豊かな赤ちゃんが、十分にその能力を発揮できるような新しい関係性作り(居場所)を細やかなコミュニケーションを通して立ち上げる過程なのです。 まずは両親と家族が中心になりますが、地域もさまざまな環境を準備してそれを応援します。 ブックスタートは、絵本という伝統的な子ども文化財を準備して、赤ちゃんとの細やかなコミュニケーションがどのようにすれば楽しめるかを応援する活動なのです。 赤ちゃんは絵本を仲立ちにして、笑顔や表情、喃語や赤ちゃん語で「アタシはこんな風に感じているのだけどワカルカシラ!」と、周囲の大人に果敢に表現します。

好きな絵本もさまざまで読み方の好みもありますが、何よりも大切なことは読み手との信頼関係でしょう。 10か月前後から好きな絵本が出来る赤ちゃんもいれば、2歳くらいまで興味を持たない赤ちゃんもいます。

第2回 『赤ちゃんの想像力』

 生まれてから1~3か月の間に、赤ちゃんは子守歌や優しいリズミカルな話しかけに笑顔や声で応えてくれるようになります。 ただし、この発達の変化にも個人差があり、1か月を過ぎる頃からあやせば懸命に応えてくれる赤ちゃんもいれば、逆にしらんぷりの場合もあります。 人見知りも、始まりが4~8か月位の幅があり、ほとんどない赤ちゃんもいます。

 さて、ブックスタートの最前線で中核を担う図書館員・保健師・ボランティアさんの活躍には素晴らしいものがありますが、 ある時、1歳児をもつお母さんからこんな感想を聞かされました。絵本を一生懸命に読んでくださるのですが、赤ちゃんはちっとも興味・関心を示しません。 するとその時の読み手さんは「心配しないでください。かならず見るようになりますからね!」と何度も気遣ってくださったようです。 そのお母さんは、思わず「私は何も心配などしていません!」と、のど元まで言葉がこみ上げてきたのですが、言わないで帰って来たと私に話されました。

 この場合に生じたある種の「スレチガイ」は、赤ちゃんの成長・発達のとらえ方の違いから来ていると思います。 お母さんは、すでにこの赤ちゃんの上に2人のお子さんを育ててこられて、子ども達が単純な「成長神話」コースで計れるような存在ではないことをよくご存知でした。

 私もそうですが、赤ちゃんの周りを囲む専門家は、どうしても自分の専門(あるいは与えられた役割)の尺度から赤ちゃんを眺めます。 ある種の能力やスキル(歩行や発語なども含めて)の成長に気をとられてしまうと、それぞれの赤ちゃんには独自の発達のリズムがあることを深く考えないままに、 不用意な発言をしてしまうかも知れません。

 絵本は親しい人の声を手がかりに、絵と文の組み合わせで多様な解釈や楽しみ方が出来るゆっくりとしたメディアです。 赤ちゃんによっては、「アタシこの絵本にキョーミないの」と主張する場合もあります。それは読み手に「どうしてなのだろう」と考える機会を与えるもので、 それこそが読み手の想像力を強く鍛えてくれます。絵本を読み合うことが、例えば「言葉の学習やしつけに役立つ」という次元でとどまってしまうと、 絵本のもつ想像力を育むことの可能性がほとんど生かされないことになります。

 ブックスタートの10年は、絵本と読み手を見ている時の赤ちゃんの想像性豊かな表現 (表情・声・ジェスチャーなど)の意味に着目することを、課題として教えてくれたように思います。

 

第3回 『赤ちゃんの幸せは成熟社会のシンボル』

 ブックスタートの会場へおじゃますることがあります。赤ちゃんと父母(保護者)と絵本をつなごうとする人びとの最前線です。 自治体によっては中心になる「つなぎ人」が、図書館関係者、福祉関係者、文庫経験者など様々であり、それによって雰囲気が少しずつ異なっているようにも見えます。

 ブックスタート・ニュースレターにも、毎回各地の活動の様子が報告されていますが、いずれも「子育て応援団」の色彩が濃いものになっています。 私が最近見学させて頂いた会場では、祖父母の世代に近いボランティアさんが、若い父母と赤ちゃんにゆったりと語りかけておられました。 様々な子育て支援の行事と場所のマップ(小児科医、図書館・自治体の赤ちゃん向け行事内容、遊び場までも含む)など、沢山の有益な情報が満載された資料も周到に準備されていました。

 初めて会った者同士でありながら、手渡す人と受け取る人の掛け合わせの分だけ、個別的で親密な何かが生まれます。 そこでは若い世代のみが恩恵を受けるのではなく、支援する立場の人びとも、若い世代の子育ての困難さと新しい赤ちゃんの実態を肌で感じることができます。 双方にとっての「フムフム赤ちゃん」の発見の場なのです。

 私は日本学術会議※の連携会員として、この数年「子どもに優しい都市づくり」の議論に参加しています。 その中で発見したことは、ブックスタートは「赤ちゃんに優しいまちづくり」をする上で、とても重要な役割を果たすことが出来るということでした。

 赤ちゃんが健やかに育つために医療や福祉が充実することも大切ですが、それ以上に、赤ちゃんの誕生を社会全体で歓迎し、 すべての世代が新しい命について語り合うことが習慣になること、その幸せを共有することが当たり前になるというシステムを、 地域の中に創り上げることが必要です。赤ちゃんの誕生と成長をすべての人びとが楽しみながら共有できる「赤ちゃんに優しい社会」 こそが、新しい成熟社会の指標となるでしょう。

 絵本はともすれば読書への入り口から論じられることが多いのですが、もっと多様な可能性をもつものだと思います。 言葉を獲得する前の赤ちゃんにとっては、わらべうたや手遊び、ボール遊びにも似たコミュニケーションツールであり、 父母の養育性・養護性を引き出す魅力的な文化財なのです。

※日本の科学者を代表する機関。人文・社会科学、生命科学、理学・工学の全分野で様々な研究や重要事項の審議等を行い、 政府に対する政策提言や科学者間ネットワークの構築、世論啓発等を行っている。

第4回 『赤ちゃんとの幸せの時間』

 昨年、瀬戸内の人口一万人を少し上回るH町が、ブックスタート事業を始めてから10周年を迎えました。そこで、ブックスタートが子ども達(小学校4年生になっています)や保護者、地域にもたらした影響についてのアンケート調査のお手伝いをしました。 その結果についてのレポートは、私のホームページ「佐々木宏子の絵本研究室」で公開しておりますのでご覧ください。

 アンケートに答えてくださった保護者の80%近くが、今後もこの事業を続けて欲しいと評価し、赤ちゃんと絵本の出合いについての肯定的で説得力のある自由記述も数多くありました。 「赤ちゃんとの楽しい時間」・「赤ちゃんとのコミュニケーションの面白さ」・「子育て支援への満足感」など、10年を経た現在でもブックスタートで絵本をもらったことが、子育ての肯定的な原風景として強く印象に残っていることが分かりました。

 しかし、以下のような記述に出会った時、そのもう一つの真実に深く考え込みました。「はじめての子育てと仕事で手いっぱいで、絵本を読んでやったことがあったかな?と思いました。 人それぞれ事情があり、してやりたくてもできなかったりすることもあるので、ゆとりのある人にあわせて、こういうアンケートはやめた方がいいでしょう。自分(私)で記入していて責められているようなむなしさ、後悔が残りました」。

 まず、忙しい時間を割いてこのような感想を率直に書いてくださったお母さんへの感謝の気持ちが湧いてきました。 少子化に歯止めがかからない理由の一つが、当事者の母親の立場から鋭く指摘されていることに感銘をうけたのです。

 私は、ブックスタートとは、必ずしも読書教育の基礎作りではないと考えております。もちろん、将来的に読書に結びつくことはあり得るでしょう。 でも、幼児期に本を読むことに無縁であった子どもが、中学・高等学校から急激に本を読み始めるケースが沢山あることを経験上知っています。

 それでは、ブックスタートは何を目指すのでしょうか。私は、赤ちゃんとのコミュニケーション、つまり対話型の子育て文化のスタートなのだと思います。 赤ちゃんと保護者がゆっくりと対話や会話を通してお互いを理解し合うためには、ある程度の時間がどうしても必要になります。このお母さんは、そのゆとりの時間がないことを強く主張されているのだと思います。 この対話型の子育て文化は、わが国では数世代の積み上げが必要ではないかと思っています。

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