コラム

榊原 洋一

  • 小児科医
  • お茶の水女子大学大学院
  • 人間文化創成科学研究科 教授

プロフィール

大学病院勤務など、30年以上小児医療に関わる。育児相談にも長年携わり、 子育ての過程で親が経験するさまざまな困難(夜泣き、トイレトレーニング、母乳、睡眠)などへの科学的な対応法の解明も研究課題の一つ。 子育てに関するテレビ番組等のコメンテーターとしても活動している。

第1回 0~3か月の頃 『赤ちゃんは見ている、聞いている』

 長い間、ずっと生まれたばかりの赤ちゃんはほとんど目が見えない、と信じられてきました。また音は聞こえているが、全く経験のない赤ちゃんには、音の聞き分けなどできないものと信じられていました。 しかし、赤ちゃんの心についての研究が進み、現在ではそうした考え方が全くの誤りであったことが分かっています。そうです、赤ちゃんはちゃんと見て、聞いているのです。

 新生児の視力は、大人で言うと近視と鳥目が一緒になったようなものです。近いところがぼんやり見えますが、夕暮れ時の風景のように色はあまり鮮やかではありません。 でもこの大人に比べて劣っている視力を駆使して、新生児はある特定のものを特によく見るのです。ある特定のものとは、なんでしょうか?人の顔、特に目元と口元なのです。

 

 生まれてから間もない赤ちゃんの目の前に、何も書かれていない白い丸い紙と人の顔の書いてある丸い紙を置くと、顔の書いてあるほうをじっと見つめることが明らかになっています。 さらに、赤ちゃんの視線が分かるような装置で詳しく見ると、一番よく見えるのが目元、そして口元なのです。

 最近の脳科学の進歩で、赤ちゃんのときから私たち人間の脳は、人の顔や口を見るときに活性化する部分がちゃんと定まっていることが分かってきました。 お母さんのおなかの中で人の顔などを見た経験のない新生児の脳は、ちゃんと生まれた後に顔を見ることを見越したかのような仕組みができあがっているのです。

 

 音に対する反応についても、新生児は母親の声を注意深く聞いていることが分かっています。私たちには区別できない母親と似た声の女性の声を聞かせても、母親の時ほど注意を払いません。 赤ちゃんは日本人の大人にはない聞こえの能力さえあります。私たち日本人の大人は、RとLの聞き分けが苦手です。ところが、生まれてから数か月の赤ちゃんは、ちゃんとRとLを聞き分けていることが巧妙な実験で明らかになっています。

 

 赤ちゃんは目も良く見えないし、ことばも分からない。そんな赤ちゃんに読みきかせてどうするの、といった疑問を持っておられた方も、ちょっと赤ちゃんと見直したのではありませんか?

第2回 4~6か月の頃 『おしゃべりな赤ちゃん』

 乳児のことを英語ではインファントと言いますが、これはラテン語で「言葉のない人」という意味です。でもそうなら、タイトルの「おしゃべりな赤ちゃん」は矛盾しているのではないか、と皆さんは思われるでしょう。

 

 でも、赤ちゃんは本当はおしゃべりなのです。ただ、私たち大人が赤ちゃんのおしゃべりを理解できないだけなのです。

 

 生後数か月から、赤ちゃんはこの「大人には分からない」おしゃべりを盛んに始めます。授乳の後など、おなかもいっぱいになりご機嫌がいいときに、赤ちゃんをよく観察してみましょう。 すると手足を動かしたりしながら、「アック―」「ウックー」「フンフン」といった声を出していることがよくあります。ちょうど鳥の鳴き声に似ているので、この声のことを「クーイング」(クック―という声という意味の英語)と呼んでいます。

 

でもそれは無意識の意味のない声だから、おしゃべりとはいえないのではないか、と思われるかもしれません。ところがそうではないのです。この「クーイング」はどうやら赤ちゃんが意図的に出している一種の言葉であることが分かってきたのです。

 

 赤ちゃんはこのクーイングを、抱っこされているときにもよくやります。たいていのお母さんは赤ちゃんのこうした発声に対して無意識のうちに声をかけています。 「どうしたの」「そう、いい気持ちなの」「いいお声ね」

 

 すると、声かけをしてもらった赤ちゃんはしばらく黙ってお母さんの声を聞いています。 ところがお母さんにお願いして何も声かけをしないでいてもらうと、赤ちゃんは黙らずにずっとクーイングの声を出し続けることが明らかになったのです。つまり、クーイングには、「ねえお母さん、なんか言ってよ」という意味が込められていたのです。

 赤ちゃんは大人には分からない言葉でおしゃべりをしていたのです。

第3回 7~9か月の頃 『赤ちゃん、探検家になる』

 7~9か月の赤ちゃんを何かにたとえるとすれば、探検家です。目の前のいろいろな未知のものに手を伸ばすことや、寝返りで移動することを覚えた赤ちゃんは、 7~9か月になると眼前に広がる目新しい世界に更なる一歩を踏み出します。それは、ハイハイすることによって、赤ちゃんの経験できる世界が飛躍的に広がることです。

 

 なにしろこの世の中のことはすべて初体験ですから、たとえ部屋の中だとしても、すべてのものが赤ちゃんにとって好奇心をくすぐる新発見なのです。

 

 テーブルやいすの足は、赤ちゃん探検家にとっては深いジャングルの大木の幹に相当します。高くそびえるテーブルの上の食器や本は、木の上にあるおいしそうな果実や極彩色の小鳥に相当するかもしれません。 床に落ちているものはなんでも、探検家が未知の土地で発見する古代人の遺跡のように、赤ちゃんの新奇のものへの気持ちを掻き立てます。

 

 部屋の中を探検しながら、赤ちゃんはこの世の中を少しずつ発見していきます。一度部屋の中を赤ちゃんの目の高さで這い回ってみてください。今まで私たち大人には見えていなかった新しい発見があると思います。

 

 探検に危険が付きまとうように、部屋の中とはいっても、赤ちゃん探検家には危険が待ち受けています。床に落ちているものを何でも口にいれて「調査」してしまう赤ちゃんにとっては、薬の錠剤、化粧品、ボタン電池は、「危険物」です。 階段の絶壁の向こう側を探検しようとすれば、転落の危険もあります。

 

 家の中を安全にして、こうした赤ちゃん探検家を守ってあげるのは、経験豊富な大人たちの責務です。

第4回 10~12か月の頃 『赤ちゃんはどうやって言葉を覚えるのだろう』

 10か月~12か月は赤ちゃんにとって大きな転機となる時期です。なぜなら、この時期に多くの赤ちゃんは、動物の中で人間を際立たせている大きな2つの能力を使い始めるようになるからです。 その2つの能力とは、立って歩くこと(立位歩行)と初めて意味のある言葉を使い始めるということです。

 

 約1年の間、赤ちゃんは聞こえてくる人の声を辛抱強く聞いています。赤ちゃんには文法など分かりません。 一区切りの文章のどこに切れ目があるのかさえ分からないのです。例えば「庭に白い犬がいます」という、大人にとっては単純な文章を聞いても、赤ちゃんに聞こえてくるのは「ニワニシロイイヌガイマス」という一連の声だけです。

 

 これを「ニワ・ニ・シロイ・イヌ・ガ・イマス」と区切ることができるのは、私たちが文法を知っているからです。これを「ニワニシ・ロイイ・ヌガイ・マス」とか「ニワニシロ・イイ・ヌガ・イマス」と区切ることも可能です。 でも、どんなに子育てに熱心な親でも、「庭」は名詞で、「白い」は形容詞だよ、なんて赤ちゃんに説明する人はいません。

 

 ではどうして赤ちゃんは、こうした一続きの言葉の連なりの中から、「いぬ」とか「にわ」という単語を切り出して理解していくのでしょうか。 赤ちゃんのそうした能力については、まだ分からないことが多いのですが、知らず知らずのうちに親が分かりやすく間を取ってしゃべっていることが、赤ちゃんの理解を助けていることは間違いありません。 赤ちゃんに語りかけるときに、ゆっくり、間をとり、抑揚をつける「マザリーズ」と呼ばれる語りかけを親は自分でも気が付かないうちにしています。

 赤ちゃんは、自分に語りかけられるゆったりした言葉を一生懸命聞いて、どこに言葉の区切りがあるのか、自分で見つけてゆくのです。 こんな時期に赤ちゃんにゆっくり絵本を読んであげることは、そんな赤ちゃんの言葉の理解を助けているのです。

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