コラム

秋田 喜代美

  • 教育心理学
  • 東京大学大学院教育学研究科 教授

プロフィール

専門は教育心理学、発達心理学、保育学。人が育つ制度的な場としての保育所や幼稚園、小中学校での授業検討会等に参加しながら教育実践研究を行っている。『絵本で子育て』(岩崎書店)『保育のみらい』(ひかりのくに)等、著書多数。

第1回 『赤ちゃんと絵本が真ん中コミュニティ』

 赤ちゃんと絵本が出会うブックスタートの場面の写真は、どれを見ても魅力的です。それは、ブックスタートの要は「絵本を読みきかせる」ことではなく、「絵本を開くひとときの楽しさや喜びを分かち合う」ことであることが、写真から伝わってくるからだと思っています。そしてその時の赤ちゃん一人ひとりの表情には、どれもその子ならではの個性的あり方を見取ることが出来ます。自分に向けて開かれた絵本と関わろうとして身体や表情で発せられる赤ちゃん一人ひとりの心の声を聴き取り、受け止め、それに応えようとする大人の心。心で交わされるやりとりだから、言葉だけではうまく伝えられなくても、それ以上の情報量を持つ写真がその場の雰囲気を醸し出し、物語ってくれると思うのです。

  「コミュニケーション(communication)」、「コミュニティ(community)」という言葉には「communis」という共通のつづりが含まれています。これはラテン語で、「分かち合う」という意味です。子どもに絵本を読まなければ、話しかけなければということよりも、すてきな動きや発声、その内奥にある子どもの意図を聴き取り、頷き合い、分かち合うこと。これが人の絆を創っていくのだなあと実感できるひとときです。ブックスタートのウェブサイトの写真を見てみてください。赤ちゃんと絵本を真ん中にして、親もボランティアの方もその場にいる皆さんも、眼差しを共有しているのがわかります。心理学では「共同注意」と呼びます。そこでは一緒に同じものを見つめ合うことが、子どもの意図を捉え情動の一体感を生みます。赤ちゃんの夢中に、家族もそれを支える人も地域の人も皆が夢中になる、こうした絵本に夢中の赤ちゃんを真ん中にした「赤ちゃんと絵本が真ん中コミュニティ」の輪が広がっていると思います。

 でもこの頃悲しいことに、スマホ片手に一方に絵本という親御さんもいないわけではありませんし、音楽を聴きながら絵本というパパママもいないわけではありません。それでは眼差しによる心の一体化は生まれません。「赤ちゃんと絵本」というと一対一の場面を想像する方が多いようです。でも写真を見てお分かりいただけるように、パパもママも兄弟姉妹も、面白いお話や赤ちゃんの表情に皆が笑顔になれるひとときでもあります。赤ちゃんとママだけではなくパパも一緒に3人で絵本を見たり、その姿をおじいちゃんおばあちゃんや地域の人も、その場で、写真で、時にはその動画を送って一緒に分かち合う。こうしたコミュニティが時を超えつながったら、幸せな家庭と街づくりができるのではないかと思います。

  ブックスタートは、この14年の間も進化し深化してきました。これからも新たな知恵でさらなる“新化”をと思います。その知恵はみなさんお一人お一人の手にかかっています。

第2回 『赤ちゃんにとっての「絵」』

 赤ちゃんにとって、絵本は、読み手の語りかけてくれる声と、目の前に広がる絵本の絵からなる世界です。電子絵本もいろいろと出回るようになってきました。しかしまずは、紙の絵本との出会いが、子どもの発達から見てとても大事だと思います。良質の絵本の絵の色彩や筆のタッチ、紙面構成の中で、赤ちゃんはいろいろな発見をしています。  

 最初は絵本をつかむ、たたく、こする、口を近づけてみるなど、物としての絵本に興味を示し、絵に対していろいろな探索行動をする時期があります。この「物としての絵本」との関わりが、絵本の頁をめくることや、絵本と外界のものを探索する興味へとつなぐなど、とても大事な意味を持っています。そして1歳半頃から、親が指をさして語りかけるだけではなく、赤ちゃん自身が絵を指さすように変わってきます。つまり、絵を対象として触ろうとするところから、親と子で一緒に見て共有するものとしての絵へと、変化していくわけです。

 ブックスタートパイロットスタデイの共同研究をさせていただいた、川村学園女子大学菅井洋子先生の最近の研究では、この「絵への指さし」から、お母さんやお父さんがいろいろなことに気づかれる様子を示しておられます。例えば『ちいさなねこ』という遠近法を使った絵本の絵では、手前の猫より奥の人が小さく描かれていることに気づいた子どもが、「ここにぶつかっちゃう?」と猫のしっぽの奥に書かれている人を見て言ったり、大きな木の下の方が省略されている絵を指して「とれちゃったの?」と尋ねたりしています。大人は絵本の絵の描き方の決まり事を知っていますが、子どもたちはそこに不思議を感じています。そしてお母さんやお父さんは、その思いがけない子どもの発見に「なるほど」と新たな発見をされるようです。

 絵本の絵に、子どもたちがどのように出会っているのかをよく見ると、そこに確かな育ちのあゆみが見えてきます。1歳半頃から3歳頃までは絵本の主人公になりきって動いたり、絵本の絵と同じものを見つけて持ってきたりするのが、3歳過ぎになると絵本の絵だけに集中するようになってきます。絵本の絵は、子どもにとって新たな世界を拓く窓です。何度もくりかえし絵を見て楽しむことで、新たな発見が生まれる時間を持ちたいですね。

第3回 『聴き上手なお父さん・お母さんに』

 乳児期は、親が赤ちゃんに絵本の内容を「読みきかせる」というよりも、絵本を一緒に「共有して語り合う」という表現がぴったりです。 「よい親とかけて、○○と解く」という謎かけがあります。皆さんならなんと解かれるでしょうか。答えは……「盆栽」。「えっ、ミニチュアを作ること?」と思った方もおられるかもしれませんが、そうではありません。その心は「松(待つ)と菊(聴く)が多い」です。

 親子で絵本を見るのに大事なことは、赤ちゃんの息遣いを感じて一呼吸待つことですし、表情や視線、指の動きなどを見取り、聴き取ることです。子どもたちは100の言葉を持っています。いわゆる言語だけではなく、身体の多様な部分で心を表現しています。その表現は一人ひとり異なり、多様です。だからこそ、そのお子さんと親御さんの息遣いや、リズムが合うことが大事なのです。 

 1歳前後の赤ちゃんが、おもちゃで遊ぶ場面と絵本を一緒に見る場面では、絵本を見る場面の方が、親が子どもに応じるように待ってから働きかけることや、微笑みかける回数が多く、子どもに対する応答的な働きかけや、うなずきが多いという研究結果があります。おもちゃはその物自体が赤ちゃんの注意をひきつけますし、自分でも操作できます。でも、絵本は動いたりさわったりのおもしろさではないからこそ、一緒に見ることが大事なのです。

  「赤ちゃんに絵本をどのように読んだらよいのでしょう」という質問を取材で受けたりしますが、読む以上に一緒に眼差しを一つのところに向け、そして赤ちゃんの語りえぬ声を聴くことが、絵本を一緒に楽しむ秘訣になります。「ああ、あっ」「いいね」「うんうん、うふふ」「えっ、えー」「おお」と感嘆の「あいうえお」が自然にでてくるような時は、親も子ども目線になって絵本を一緒に見ている時です。日米での絵本の読みきかせの比較文化研究によれば、「ほんとうだねえ」「そうだねえ」と語尾に「……ねえ」という表現をよく使うのは、日本の親の特徴とも言われます。それが「……だ」と断定する表現より、親しみや一体感を生むのです。絵本を共有する場面では、自然にそうした表現が生まれているのです。

 赤ちゃんは正直ですから、「おもしろい」「飽きた」「嫌だ」などをすぐに示してくれます。それを聴いて寄り添う応答性や、情動的な調律行動が鍵です。赤ちゃんは自分で話せなくても、気持ちを代弁してもらえることで、受け止められている一体感、安心感を感じ、それによってさらに能動的に関わろうというサイクルが生まれてきます。聴き上手は、赤ちゃんだけでなく、ご家族間でも円満な認め合う関係を生み出します。『語りかける「愛情」で赤ちゃんの幸せ広げたい。』はブックスタートの願いですが、ぜひ赤ちゃんの声や表情を聴き取り、受けとめることから始まる語りかけになってほしいと思います。

第4回 『子どもの権利を保障する ケアリング・コミュニティへ』

 英国でブックスタートを始めるきっかけは、ブックスタートの発案者であるウェンディ・クーリングさんが、小学生になっても本の扱いを知らない一人の男の子と巡り合ったからというエピソードを、私は日本のブックスタートを立ち上げる2000年に英国を訪問した時にうかがいました。そのことが今でも脳裏に刻まれています。

 そこには子どもの権利保障の哲学がありました。英国のブックスタートは、確かなスタート(SureStart)を学校に入る前にできるようにという、家庭教育プログラムの一環として始まった活動です。多様な民族や人種の子どもも、障がいや発達の遅れの有無、家庭の経済的格差によらず、すべての赤ちゃんに絵本の経験を保障するという理念を聞き、「この活動だ」と私は確信しました。

 英国でその理念は、盲のお子さんには“Booktouch”、ろうのお子さんには“Bookshine”、発達に遅れのあるお子さんには“BookstartStar”、そして母語が英語でないお子さん用のパックも準備され、具現化されています。また社会的に困難な立場にあるご家庭を対象とした“BookstartCorner”というプログラムなども準備されています。
日本でも英国の理念をうけて、イラスト・アドバイス集は、立ち上げ当初から外国語版も準備されました。また今では、視覚に障がいのある保護者の方向けに、点字・拡大文字版の資料も用意されています。

 ブックスタートは、どのご家庭にも格差なく、いろいろなハンディがあるお子さんもとりこぼすことなく、そして赤ちゃんの時だけではなく、生涯にわたり絵本を見て語り合う楽しさの基盤を作るという、段差のない継続性の理念が大事だと思います。だからこそブックスタートは、「公共の事業」として、子どもにとっての教育や福祉、保護者にとっての子育て支援、そして、地域にとっての絆づくりといった重要な意味を持っています。日本でも様々な障がいのあるお子さん用のパックの充実や、健診に参加できないご家庭にもきめ細やかに届く工夫が、これからさらに大事だと思っています。

 2014年11月30日に、日本は「子どもの権利条約」を採択して25周年を迎えます。『生きる権利、守られる権利、育つ権利、参加する権利』の4つが子どもの権利です。絵本は子どもたちにとって社会的、文化的な存在として生きるための「心のミルク」であり、社会の文化的活動に参加していくための基盤となるコミュニケーションの絆を創るものです。乳児期で終わりではなく、ブックスタート後も、絵本経験への連続性を保障するプログラムが、各自治体の創意工夫で生まれています。親も子も、地域で育つコミュニティづくりとなってもらいたいと願っています。
うれしいのはこの頃、パパやおじいちゃんの絵本の活動への参加が増えていること。絵本コミュニティに子どもが参加する権利を保障する地域の和として、ブックスタートが根付いていってもらいたいと思います。

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